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六十年前の今 河合寛次郎 〜陶芸家の心に残る家 最終編〜

14062018

 

こんにちは、一つの話でも文字数制限をすれば数回に分けて記事を書けると言うことに気付き、このセコい手を使って投稿回数を稼ぐ平木建築工房です。

3回に渡って投稿している菜摘川家の話ですが、これで最終回です。

ですがこれ、全部1日で書いてます。

 

果たして、菜摘川の家がどうなったかですが、昭和6年9月に勃発した満州事変を契機に、株式会社安来製鋼所の工場拡大の為、昭和9年末に子の久吉により売却され、今は日立金属の山手工場になっています。

この人。

屋敷売却後、残った牛馬で荷馬車運送業を始める。

これが後の安来ハガネ運輸株式会社へと繋がって行きます。

 

さて、河井寛次郎は最後にこう書いています。

 

「すべては人がこさへたものではあったが、どうしてかうも自然が気息を吹いていたのであらう。自然が作ったデコボコも素晴らしいにはちがひないが、しかし人がその中に降参しているこんなデコボコがどうしてかうも引っ張りまわすのであらう。子供達はこんなことに吸ひ取られていたのにちがひなく、これが菜摘川老人の人柄なのかも知れず、この仁王のやうないかついからだの中にこんな素晴らしいものが這入っていたのかと思われた。子供達は、麦田の畔を飛んだり、紫雲英田に寝ころんだりしても、この老人は鬼のやうに追ひかけたり叱ったりしなかったことと思ひ合わさないではいられなかった。ここへは町の人達もよくこの庭を見に来た。半ば公開されていたやうなこの家の人達は、でも面倒くさがりもしないで、いつも心好く迎へてくれた。そのうちにこの家も庭も行者山と一緒につぶされて大きな工場の中に消えてしまった。今の駅の陸橋を渡って降りたあたり一面がその跡にあたる。」

 

なんだか最後は寂しい書き方がされていますが、母親にこの話を聞いてみたところ、帰ってきた答えは

「あぁ、酔っ払って売った家でしょ?」

 

なんじゃそりゃ・・・。

 

では。

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