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六十年前の今 河井寛次郎 〜陶芸家の心に残る家2〜

14062018

 

こんにちは、平木建築工房です。

 

前回の菜摘川家の話の続きです。

 

「〝菜摘川〟といふのはこの家の主人が地方の草相撲の親方であったので、そのシコナが屋号になったのだと言われたが、この家は又、〝玉はんとこ〟でもとほっていた。菜摘川玉右衛門とでも言ったのであらうか、それともこの家の苗字は実重と言ったから実重玉十であったのかもわからない。大髷のチョンマゲを結った赤ら顔の仁王のやうな頑丈なこの老人は、秋祭りの宮相撲には必ず見たが、土俵に上がったのを子供達は見た事がなく、多分前々からの顔役であったのであらう。」

 

実際には四股名は玉姿で、地方の草相撲ではなく、岡山藩御抱えの上方力士と言うのが真相です。

 

「座敷の北側は築山と十神山を後にした池の庭で、池のぐるりには石を立て木を配し花を咲かせ、いつも大きな鯉が新川からひかれたきれいな水の中を泳いでいた。町の裏側に沿ったいくつかの寺の庭は、何れも山の木の繁った斜面の下に池が掘られ、蓮や睡蓮が浮かび、池の手前は白い砂が敷かれただけの類型の御座なりの庭であったが、〝菜摘川〟の庭はそんなものとは全く別なものであった。子供達は家の横からだまって這入って行っても、しかられる事もなく、ここの小母さんはいつも気持ち好く見せてくれた。子供達はここで始めて一木一石に、それぞれ心を使った跡を見とれないではいられなかった。そして何度見ても見つくせるといふものもなく、あきるといふ事もなかった。」

 

築山と言うのがどこにあったのかは分かりませんが、北に十神山を借景にした庭があったと言う事で、今の安来駅周辺であった事が分かります。

 

次回はこの屋敷の最後について。

では。

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