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六十年前の今 河合寛次郎 〜陶芸家の心に残る家〜

14062018

 

こんにちは、平木建築工房です。

 

河井寛次郎が子供時代を回想して書いた六十年前の今と言う本に先祖の屋敷の事が書いてあり、早速買って読んでみました。

長くなるので3回に分けて投稿しますが、最後のオチがメチャクチャなのでお楽しみに。

 

‘旧街道と菜摘川家’

この人の家。

岡山藩の池田公御抱え力士で、小結まで昇進、明治維新で帰国後、安来のニノ谷へ別家したものと言う。

菜摘川と言うのは相撲部屋の頭取名で、それがそのまま門名になったもの。

因みに、この人の父親である保助も力士で、前頭だったそう。

親子二人で菜摘川親方を襲名、今は隣り合った墓にそれぞれ眠っています。

 

「そこには又、この松原のほかにあざやかに浮び上がったものに、その頃〝菜摘川〟と町の人達が言っていた農家があった。行者山の登り口の麓に竹藪を背負った、広い屋敷にこの家は色々な果樹に半ば隠されていた。」

 

この果樹のエピソードは私も聞いた事があり、森右衛門が孫の熊吉が将来食うに困らないようにと「熊が為じゃ、熊が為にやるんじゃ。」と言いながらひたすら果樹を植え続けた結果、家が果樹に埋れてしまったと言う逸話があります。

孫の熊吉の名が刻まれた石が社日山にあります。

 

「母屋はガッシリした大きな瓦葺きの平屋で別棟の台所や倉の配列も立派でこの辺での大百姓であった。」

 

帰国後、31歳で結婚しているので、その頃帰農したのではないかと・・・。

 

明治期に撮られた屋敷の写真や森右衛門の写真も昭和末期まではあったそうですが、今はどこにあるのか、遺失してしまったのか?

残っていたら是非見てみたいものです。

 

森右衛門の容姿や人柄、庭についても詳しく書かれているので、それは次回に。

では。

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